『自分の言葉で語る技術』を読んで自分なりの文章を考えた

 

 

自分の文章が書けない・・・

ブログまでわざわざ開いて好きな本の紹介ナンカしていると、文章力についての悩みは尽きない。

いや、文章力というより、”伝える力”不足。思ってることをうまく伝えることができない。ああこんな面白い本なのに、こんな文章じゃ全然つまんなそうだよ!みたいな、よくある。

 

 

一番問題なのは、自分で書いた文章が自分の物にみえないこと。

よそよそしいというか、ロボットが書いたような文で、自分自身はこんな文体好きじゃないんだよなあと思いつつ、そんな借り物みたいな文章でしかものが書けない。

 

ということで、僕は伝えることに日々悩んでいるんですが、そういう時はそういう本に惹かれてしまう。

 

『自分の言葉で語る技術』。

これはもともと本棚に入っていて、それは塾講師バイトの参考になればと思って数年前に買っておいたんだけれど、それを再読してみた。

 

 「聞いたことある」は自分に責任がある

本書で述べられている「自分の言葉で語る」ための基本3か条は、次の通り。

  1. 自分の体験から得た発見を具体的に語る。
  2. 視点や次元を意識して変えながら具体的に語る。
  3. 語り方の巧拙よりも伝えたい気持ちと少しの勇気。

 

そして前提条件に、「自分の言葉で語っているかを決めるのは他人。」と添えられる。

 

 

こういうのは変わり映えしないじゃん、聞いたことあるわ、と思いがちだったけど、「聞いたことある」ということはその言説がある程度の真理を突いているということかな、と思い始めた。

うんざりするくらいなら自分でその言説を取り込んで実践して、否定すればいい。「ほらやってみたけどダメだったじゃないか、その理論はここに問題があるから間違っているぞ」って。「この言説はガチ!」「この言説はインチキ!」と自分自身でジャッジすればいい。

聞いたことある、って感想しか持てないのは、肯定も否定もできてないってことで、それが自分のためになってないのは、おそらく自分に原因がある。

 

自分の言葉を使う勇気

ということでまじめにこの本に向き合ってみると、確かに省みるところがある。

特に自分にとっては3、語り方の巧拙よりも伝えたい気持ちと少しの勇気。の部分。

特に、勇気。の部分。

 

勇気っていうのはこの本で言うと、「矛盾を恐れない」だとか、「不確かな情報は流さない」とかそういうこと。そして、「正しいことはたいていつまらない」ということ。

 

思えば僕の書評は優等生過ぎたかもしれない。僕自身の感想を重視するよりは、「この本はこういうことを感じ取ってほしいんだろうなあ!」という部分を文章にしてきた。

だから自分の文章が自分のものに見れなかったのかもしれない。

優等生ぶった、「正解」を探る文章ならだれでも同じような文章になる。

 

自分の文章を書くことは意外と難しい、これはやろうと思ってできることではない、けど、自分のことばで書く文章は今よりもっと楽しくなるだろうな、と考えている。

 

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