レインコートを着た犬。
『つむじ風食堂の夜』
『それからはスープのことばかり考えて暮らした』
に次いで吉田篤弘『月舟町三部作』と呼ばれたりしてますが、
この作品から読んでも面白いです。
犬の視点で人の風景を切り取る、『吾輩は猫である』スタイル。
「人間はなんでこんな不思議なことをするんだろう」
みたいなのんきな視点は『猫』と変わらず。
しかし種の性が出たのか、
彼は犬らしく人間にはなつっこく、おとなしい性格です。
この小説は、「避けられない変化を受け入れる物語」。だと思ってます。
舞台となる「月舟町」は、とても穏やかな街です。
そこにあるのは
小さな映画館、
頑固おやじの古書店、
青年が座る果物屋、
評判のサンドイッチ屋、
みんなが集まる「つむじ風食堂」。
その町に住む人も、やはり穏やか。
凶暴性のかけらもない、優しい世界、
「こんなところに住めたらなあ」と思ってしまうような、
ある意味でファンタジーのような世界です。
しかし、「幸せ」そうではありません
。穏やかなごやかのほほん、とした空気に、
どこかピリッと感が漂っています。
その理由は「経営難」、という現実。
登場人物はみな、切り盛りするお店の客足を憂い、明日の経営に悩んでいます。
「ファンタジー」の裏面が、この小説ではきちんと突き付けられています。
「俺はね、もう世界に負けたのよ。もし、営利の結果で勝ち負けを決めるなら、俺は明らかに負けだから。勝ってやろうとも思ってない。(中略)屋台とか古本屋っていうのは世の中のどんづまりにある最後の楽園みたいなもんでさ、そういうところへ辿り着いた連中が、全員、マケイヌであっても俺はまったく構わない」
『レインコートを着た犬』吉田篤弘 p63
古書店のおやじのことばには共感してしまいます。
僕らにとって、おカネ稼ぎが上手な大規模店よりも、
こじんまりとだれも買わないモノを売ってる店のほうが、好きなんですよね。
「お金を稼げない店」、最期の楽園が好きなんです。
店主自身も、そうだと思います。
そうはいっても、お金が稼げなければ店はなくなる。
「勝ってやろうとも思ってない」じゃ話は終わらない。
ワガママを許してくれない、現実の当たり前な非常さがここにあります。
この「月舟町」という町の住人たちはのらりくらりとやっていますが、
いつ自分の店がつぶれてもおかしくない、
張り詰めた状況でやっています。
経営難に脅かされる平穏を、住人の人柄で保っている緊張感があります。
やがて住人は「決断」を求められます。
このまま好きなことを貫いて灯を消すか、
形を変えて店を残すか。
はたまた、店を畳むか。
今まで通り、という選択肢はありません。
どちらにせよ変化を強いられます。
このような「諸行無常」の考えは吉田篤弘さんのひとつのテーマのようにも思えます。
『電球交換氏の憂鬱』『雲と鉛筆』など、
多くの作品で「変化をすること」について書かれていました。
そしてこの小説では一つの答えを用意しています。
その答えが今後の月舟町をどうしていくかはわかりませんが、
少なくとも住人たちの心は晴れているようです。