本=小説、の人は多い。
「どんなジャンルも読みます!」という読書好きの人でも、実は小説以外の本は読んでない、というパターンは多い。食わず嫌いしてることもあるだろうし、小説以外の本がその人の中で「本」というカテゴリーに入ってない、ということもあると思います。
別にそういうのが悪いと思っているわけじゃ全然なくて、ただもったいないなあという話です。
せっかく活字が苦にならない能力を持っていながら小説という一ジャンルしか触れないのはもったいないんじゃないかなあと思うわけです。
とはいえ、まあ小説ではないノンフィクション系にある種のハードルがあるのはわかります。僕もそこは経験してるので。
なので僕が感じるノンフィクション系の魅力を一つ伝えます。
小説に勝るノンフィクション系の魅力、それは
著者の熱が伝わること
です。
朝井リョウさんなんかもたびたび言っていることですが、小説は私小説でもない限り現実とは切り離された世界を描く「創作物」なので、そのストーリーは筆者の人格とは無関係です。(著者の技術な固有の信念が表れることはあります)
しかしノンフィクション系はその著者がいる世界をそのまま描くので、その著者の人格がダイレクトに表れます。これ面白いから聞いて聞いて!というマニアの思いが伝わってくるんです。
そこに書かれている文章も、キャラクターの視点ではなく、書いた本人の文章そのものです。
つまり、ノンフィクションのほうが小説よりも人間臭い。意外かもしれませんが。
例えば、『カラスの文化史』という本があります。
この本はタイトル通りカラスの生態やカラスにまつわる神話などを解説した、カラス尽くしの本。
この本の書き出しがまさにカラス愛にあふれていて僕は大好きなんです。
ご多分に漏れず、私にもカラスにまつわる思い出がある。
…いやいや、普通の人にはカラスにまつわる思い出なんかねえから。
多分この人は「あ、カラスといえば小学校のころにね~」ってエピソードトークを語れる人間が「ご多分」だと思ってるんですね。
カラスの愛がなければ決して生まれない名文です。
関連↓
ほかにも、こんな本があります。
講談社学芸文庫ということで、多少身構えるかもしれません。
確かに柔らかい本ではないのですが、この本の魅力は硬い文章が決して論文のように無機質ではなく、著者のモンテーニュ愛があふれているところです。
その愛は随所に現れます。例えばこんなの。
私は先の引用で一か所だけ省略しておいた。その部分を取り出して読んでみたいと思ったからである。
ここから著者が お気に入りの『エセ―』の一文を取り出して褒めちぎったりします。「読んでみたい」て。なんてお茶目なんだ。
ほかにも、モンテーニュが旅の効能を語っている『エセ―』の長い引用を載せた後にこんなことも言っちゃいます。
じつをいえば、ここで必要だったのは引用の前半だけだったのである。しかし、これを訳していくうちに、イタリアを旅するモンテーニュの姿が目に浮かんで来て、思わず予定を超えて引用することになってしまった。
え、こんなに自由なの?と思わず突っ込みたくなる一文。でも、「そっか、じゃあしょうがないね!」って思わず許しちゃうお茶目さがありますよね。これも愛の力。
こんな感じで、新書などのノンフィクション系は無機質で温度がないと思われがちですが、実は逆で、著者その人の文章で書かれているからこその熱が込められているんです。
小説が楽しいのは百も承知ですが、だからこそ、小説以外も一冊、試してみては?という話でした。